備中のうま酒
当蔵の清酒は、岡山県産の酒造好適米を中心に厳選された原料米を使用した寒造りです。
漢学者阪谷朗廬(さかたにろうろ)先生、文豪谷崎潤一郎先生など多くの好酒家に殊のほか御愛飲いただきました。
我が備中地酒を自信を持っておすすめ致します。


社名 | 山成酒造株式会社 |
所在地 | 〒714-2112 岡山県井原市芳井町簗瀬23番地 |
TEL | 0866-72-0001 |
FAX | 0866-72-0010 |
代表取締役 | 山成芳直 |
創業 | 1804年 |


岡山県の西部に位置する芳井町は、中国山地に源を発する小田川の上流に広がる、豊かな自然があふれるまちです。
澄んだ空気、澄んだ水がまちの自慢です。
心も体もリフレッシュできる、この大自然に恵まれた素敵なまちで山成酒造はお酒を造っております。
阪谷朗廬 1822(文政5)年~1881(明治14)年
阪谷朗廬(さかたにろうろ)は備中国川上群九名村(現岡山県小田郡美星町)造り酒屋の三男として生まれました。幼名素三郎、のち希八郎、素、号を朗廬と称しました。幼い頃より学問に励み、大阪の奥野小山、大塩平八郎に学び、のち江戸へ出て昌谷精渓、古賀洞庵の門に入り漢学を修めましたが、文名は次第にあがり塾頭までなりました。
帰郷後は諸藩からの招聘を悉く辞退して、1851(嘉永4)年伯父山成直蔵、大年(蘭学者)の協力を得て、簗瀬村桜(現岡山県後月郡芳井町簗瀬)に「桜渓塾」を開き郷党の子弟の教化につとめました。2年後1853(嘉永6)年31才で一橋藩立郷校「興譲館」の督学として迎えられた朗廬は「海内の儒宗」とまで言われた高名な儒者をなり、元治、慶応の頃には、ここに来り学ぶ者は北は蝦夷松前から南は長崎に及び、山陽道を東遊西行する諸士悉くその門を叩くという盛観を呈し、水戸の弘道館、萩の明倫館と共に「興譲館」は天下の三館と謳われるに至ったが、朗廬には官途に就く意志はなく一橋慶喜より枢機に任用する内旨も固辞して受けませんでした。
しかし、1868(明治元)年広島藩のたっての懇請に藩主浅野長勲の側近に侍して藩政顧問といてその諮問に応じることとなりました。明治維新後は東京において福沢諭吉、津田真道、箕作秋坪等当代一流の洋学者によって組織されたわが国最初の学術団体「明六社」にただ一人儒者として参加、欧化思想、自由思想啓蒙のため活躍しましたが、1881(明治14)年東京小石川春日町の自宅で永眠しました。